雪の日々、のようです
それは、ある病で親を亡くした娘が、遠縁の男に引き取られて暫くの事。
娘は親を亡くした悲しみにとらわれたまま、何時でも宙を見る様な目をしていた。
そいつはもう丸で人形の様な無機質さ、娘を引き取った青年が風呂に入れてやり、飯を食わせてやり、着替えさせてやり、髪をとかしてやる。
そんな時は暫く続き、ある日のある時、娘が暴れた。
何が理由だったのかは今も分からずのままではあるが、
娘は幼くも絹を裂く様な声を上げて、ぼろぼろと泣きながらそこらじゅうの物を投げては壊してひっくり返しての大暴れ。
青年が娘を抱き抱え、引っ掛かれ蹴られても抱き抱え、背中をとんとんと叩き続けてやれば、それはゆっくりおさまって。
泣き止んだ頃には、娘は青年の胸の中ですやすやと寝息をたてていた。
そうして娘は癇癪持ちである事が分かり、元より幼くも女の相手をするのに苦労していた青年は余計に混乱したのか、娘にうまく接してやる事が出来なくなった。
「すぎうらどの、おなか、すいた」
「ふむ、ならばならば、何かを作ってやろうか」
「すぎうらどの、きものが、おおきい」
「主は育ち盛りである、直ぐに身体に合う様になろうさ」
「すぎうらどのの、ぐあん、おいしい」
「ぐあん?
────ああ、ああ、飯か。ほほう美味いか美味いか、ならばたんと食うが良い」
娘はたまに癇癪を起こして泣きわめくが、もちろん普通の会話も出来はする。
けれど青年は、娘を出来る限り傷付けぬ様、半ば腫れ物扱いをしてしまう。
この娘は預かりもの、死んだ両親に預けられたもの。
下手に傷付けては、この娘の両親に会わせる顔が無い。
なんとしてでも、この娘は立派に育てて見せねばならぬ。
遠縁とは言え親類である娘の両親、そして娘。
端から見れば他人も同然、青年が娘を引き取る理由もない。
けれど多少の金と暇がある独り者の青年にしてみれば、余裕が無いわけでも無い、ならばこの娘を引き取るのは至極当然。
後悔した事は無かったが、反省の日々ではあった。
娘にああ言ってやれば良かった。
娘にああしてやれば良かった。
そんな反省ばかりである。
そうしてそうしてある日の事、青年は、昇進はどうかと言われた。
良くしてくれる上司の男が、青年は良く働く、故に位を上げてはどうかと言う話を出したらしい。
そいつは青年にとっちゃ良い話。
けれどその話は、青年に自由な時間を削れと言う話でもある。
自由な時間を削られれば、青年は娘の側には居られなくなる。
ただでさえうまく構ってやれていない娘を、預かりものの娘を夜の遅くまで一人で置いておくなんて、青年には出来やしない。
まだ幼子と言える歳の娘には、もっともっと時間が必要なのに。
けれど青年は、上司の申し出を断る事が、出来なかった。
娘には説明したものの、毎晩毎晩遅くに帰れば娘は寂しそうな顔をする。
ああ、なんだかんだで懐いてくれてはいるのだな、と僅かな安堵を抱きはするが、それより勝る罪悪感。
遅くなるから早く寝ておく様に。
最初の頃は言いつけ通り、素直に寝ていたのだが、その数日後。
娘は部屋の隅で膝を抱え、寝ずに青年を待っていた。
「寝ていろと言ったであろうに」
「ご、めん、なさい」
「そら、もう眠るが良い良い、我輩も寝よう」
「あ、い」
小さな異変には気付かなくて。
その日から、娘は毎晩起きて待つようになる。
時おり部屋の隅に踞ったまま眠っている事もあったが、毎夜毎夜、娘は青年の帰りを待つ。
一転して多忙となった青年は、娘を食わせて行く為にも、家でも仕事の事ばかりでなかなか娘を構えない。
娘も耐えた。
青年は自分の為にも働いているのだと癇癪を起こさずに居た。
娘は耐えた。
自分に出来る事は何かあるのかと考えて、精一杯の炊事や洗濯をしてみて。
娘が耐えた。
けれど孤独はもう限界で、文机に向かう男の背中を目一杯、殴る様に押した。
男が娘を振り返れば、目の前には娘が投げた本の束。
その向こうには、目にいっぱいの涙を浮かべてうめく娘。
ああ、構わなすぎた。
そう後悔するよりも早く飛んでくる本や枕、硯に茶碗。
それらを額や身体に受けながら、青年は顔をくしゃくしゃにして泣きわめく娘の、左の手首を掴んだ。
右手首も掴もうと手を伸ばした、その時に、娘の小さな手が、するりと青年の懐へ。
懐から抜かれた手には、青年の懐刀。
ざぐ、ざぐり。
降り下ろされた手に目を瞑ったのが不幸中の幸いか、青年の左目へ、縦に付けられた赤い傷。
暴れるがままに、角度を変えて振り上げられた小さな手は、青年の右目をも潰した。
血に霞む視界の中、青年はやっと娘の右手を掴んで項垂れる。
「すぎうら、どの、?」
幼い声がぽつりと溢れ、懐刀が畳に落ちる。
ああ良かった。
両目から血を垂れ流す青年は、少しだけ、ほんの少ォしだけ笑って見せてから、娘の頭を手探りで撫でた。
「すぎうら、どの、」
「む、如何にした」
「あ、う、あう、血、が」
「血?
────ああ、もう、そんな歳なのか」
あれから娘は泣きながら医者を呼び、青年の傷の治療をさせた。
泣き叫ぶようなごめんなさいが響き渡り、青年はただ、困ったように笑っていて。
青年はそれから、無理にでも時間を作るようになった。
娘はあれから、少しばかりおとなしくなった。
そこから数年が経ち、娘は下腹部の痛みと出血に目を丸くする。
そう言えばこういった教育はしなかった、とやっと後悔した青年は、その現象と対処法について淡々と説明をした。
娘はやはり、目を丸くしたまま。
しかしようよう考えてみれば、他の娘より少し早い。
話を聞いてみれば、娘の初潮は平均より二年ほど早い。
大人となる歩幅が大きい娘は、めきめき幼子から娘へと変化して行く。
未だ細くて頼り無い手足。
他の娘よりも膨らむのが早い乳房。
しゅっとした白いうなじ。
娘の後ろ姿は、あっという間に、女へとなっていって。
青年は考える。
このままではいけない、と。
青年は考える。
自分は娘に恋心を抱くのではないか。
青年は考える。
目は届くけれど、離れた場所に娘を移せぬものか。
「杉浦ー、どうしたんだお?
そんなに思い詰めた面して」
「む、いやいやなになに、少々悩む事があるだけだ」
「話せるなら話してみるお、ほら団子やるお」
「むぐ。へはいっへみへひょふは」
「食ってから話せお」
「むぐむぐむぐ。では言ってみせようか」
「二回言うなお」
「黙れ童貞」
「ぶっとばすお」
「それでだな」
「この野郎……」
まるで兄弟の様に親しい友人に、娘の事を打ち明ける。
友人は真剣な顔で話を聞き、話が終わると、うんうんと頷いて見せた。
「つまり、様子は見たいけど離れたいって事かお?」
「むぐむぐむぐむぐ」
「いつまで僕の団子食ってんだお」
「ゲフゥ うむ、その通りである」
「うわあこいつ殴りたいお」
「で、案だせ案、餡」
「餡は出さんけど案ならあるお」
「チッ その案とは」
「こいつ…………僕は、店を持ってるお」
「ふむ、遊女屋か」
「そこに、娘さんを入れるんだお」
「鼻たぶをもぐぞ」
「いや待てお、僕も杉浦の娘に身を売らせるのは嫌だお」
「もぐぞ」
「……でも、杉浦が間夫になったら他の客はつきにくくなるお」
「もぐ」
「その顔と体格で奉行所の人間だったら、あの子に手を出したら自分が危ないんじゃなかろうか……そう思わせるんだお」
「むぐ」
「そうしたら他の客もつかないし、杉浦も様子を見に来れるお」
「むぐむぐ」
「まあ、遊女にする訳だからあまりお勧めはしないお……」
「むぐむぐむぐ」
「あまり役に立たなくて申し訳ないお」
「むぐむぐむぐむぐ」
「はい、団子打ち止め」
「チッ」
「人の話聞いてたかお?」
「え?」
ムグン!
「人の話聞いてたかお?」
「はい、頼む」
「やっぱ止めた方が良いお、懸命な判断…………お?」
「頼む」
「……良い、のかお?」
「我輩の意見だけならば、構わん」
「…………わかったお、説明、してあげるんだお」
「うん、あと団子代も頼んだ」
「おい待てこの串の山はなんだお、お前さっきから追加しまくって食いまくってたお」
「いや、知らん知らゲフゥ」
「この野郎」
「礼は言おう、ではな」
「遊、郭?」
「うむ、」
「身売り、です、か?」
「違う」
「なら、なら」
「やはり嫌、か────当たり前か、遊女なぞ」
「…………杉浦、どの」
「む」
「行き、ます……遊郭」
「良いのか、それでも、遊女でも」
「…………あい」
「……すまぬ」
「いえ、いえ、良いの、杉浦どの」
娘は青年の友人に連れられて、住み慣れた家から出ていった。
禿として過ごし、引っ込みとして過ごし、新造として過ごし
娘はあっと言う間に遊女となり
あっと言う間に花魁となり
あっと言う間に、うれっことなり
( ΦωΦ)「しゅう」
lw´‐
_‐ノv「あい?」
( ΦωΦ)「……否、何でもない」
lw´‐
_‐ノv?
( ΦωΦ)「おめでとう、花魁」
lw´‐
_‐ノv「有り難う御座います、杉浦殿」
( ΦωΦ)「しゅうは」
lw´‐ _‐ノv?
?
( ΦωΦ)「少しは、幸せか」
lw´‐
_‐ノv「はいな」
( ΦωΦ)「そうか────そうか、そうか」
lw´‐ _‐ノv? ?
?
( ΦωΦ)「寒い、な」
lw´‐
_‐ノv「……あい」
それは、粉雪ちらつく雪の日々。
おわり。