熱の日々、のようです


 それはひどく暑い時の事。
 暑く熱い、ある日の事。
 ある村で飢饉に苦しんでいた人々は、口減らしにと幼い子供を捨てに行く。

 それは、ひどく暑い日。
 まだ片手で足りる歳の娘は天神様の生け贄に。

 幼い娘はぽつりと残され、一人思う。


『天神様とは悪なのか』

『そうでないなら、何故私達を殺すのか』

『天神様とは神なのか』

『そうならば、何故私達を助けてくれないのか』


 幼い思考には舞い降りぬ、口減らしと言う子捨ての意味を。
 涙で濡れた母の笑顔すらも遠くて、娘は境内に座り込み、流れる汗。

 二晩三晩と母の帰りを待ち続け、ぱたりと倒れてぼやける世界に気付いた事は
 もう母の顔を見る事は無いと言う事。

 身体に合わない大きな赤い振り袖は、まだ大した汚れも傷も無く
 唯一の母の思い出は、汗を吸って暗い染みを作るばかり。


 そこにふらり現れた、一人の男が娘を見付ける。
 痩せ細って倒れる娘に息がある事を知れば、愛らしい顔ににたりと笑んで抱き上げて。

 小さな銭を弾いて落とし、娘を連れてどこかへ消えた。



 娘は布団の上で目を覚ます。
 傍らには転た寝をする眉のはっきりした若い男。

 娘は布団から這い出て、辺りをきょろきょろ不思議そうに見回すばかり。
 趣味の良くない置物や着物が飾られた部屋は広く、枕元には水と薬。


「このお人が、たすけてくれはったんやろぉか」


 娘は嬉しそうに笑って男の寝顔を眺め、くたりと頭を傾けて、うれしそうに。

 ふと目を覚ました男は、自分を見詰める娘の姿に精一杯の優しい微笑み。


「起きたのかァ、娘ッ子」

「……へぇ」

「そうか、なら良かった」

「お、おぉきに……おにいはん」

「よしよし、未だ寝てなァ……ああ、名前は何てンだ?」

「でぃ……」

「そうか、よろしくな、でぃ」

「へ……へぇっ」


 優しい笑顔が偽物だとは、気付く筈も無く。
 娘はしあわせそうな顔で頷いた。

 数日、娘は体調が良くなるまで男に看病されて過ごす。
 そして娘の顔色が良くなってきた頃に、男は娘を連れてどこかへと。


「どこに、いかはるん?」

「良い所だ、凄ォくな」

「ふゎ、」

「これから────お前が生きる所だ」




 連れてこられたるは、見せ物小屋。

 徐留寿屋と書かれたその店の裏から中へと入り、目を白黒させている娘の背を、どん、と蹴り飛ばして。



「へ、ぇ?」

「おいお前ら、こいつに傷付けとけ、顔にもだ」

「ふぁ、え、ぁ、やっ」

「暴れんなよ、でぃ。これからお前を商品に育ててやるンだからなァ」

「やっ、やぁあっ!」

「お前はなァ、傷が良ォく映える面ァしてんだよ……色も白いし赤い着物も似合う…………全身、余す事無く付けろよ、傷」

「ぃやぁああぁあああぁあぁぁあっ!」



 泣き叫ぶ娘の着物を脱がせ、顔や背中、腹に手足に降り下ろされる小刀と拳。
 刻み込まれる傷と恐怖に、娘はただただ泣き喚く。

 傷を付けられると同時に、教え込まされる礼儀作法に琴に舞い。
 知識と教養、色や華。
 幼子と言えど商売道具、ただの愚図では客も取れぬ。

 けれど教えられる事を覚えなければ、容赦無く振るい浴びせられる拳と罵詈雑言。
 娘は優しかった男が別人の様になった事に驚愕を隠す事も出来ず、信じる事すら出来ず。



「でぃ、背中出せ」

「……へ、ぇ……」

「布噛んでろ……まァ、無駄だろうけどな」

「……? っ、ぁ、あ゙あああああぁああぁぁああああああぁあああ─────っ!!!?」

「あーあー、やっぱ布噛んだ位じゃァ無駄か」

「やぁあああっ! あああああ! やあぁぁあぁあああああっ!!」

「静かにしてろでぃ、未だ剥がしてねェンだからよォ」



じゅううう。


 右の肩胛骨に押し付けられた焼き印が、肌を焦がした。
 薄い皮膚に焼き付いた印、鏝を剥がせばべりりとめくれる焦げた皮膚。

 娘は口の端から泡を溢して、土間の地面を崩れ落ちた。
 痛みを越えた熱が背中から、全身へと駆け巡る。

 背中の印を草履で踏みつけられれば、びくりと身体は跳ねるけれど
 声も出さずに目を剥いて、青い顔で、ただただ宙を見つめていた。



 熱い。

 顔や身体、余す事なく這い回る傷跡は癒えたとて
 胸へ刻み込まれた傷は癒えず、娘は六つになろうとしていた。

 口数はぐっと減り、いつでも無表情となった娘。
 着ていた赤の振り袖は襤褸となり、そこかしこが破けちゃ穴があいている。

 見世物として店に出る毎日。
 身体を売る事は無いけれど、男共に小さな身体を晒す日々。
 娘は無感動に、ただ仕事をこなしていた。



「でぃ」

「……へ、ぇ」

「着物脱げ」

「…………へ……?」



 仕事が終わり、部屋で着替えていた娘の元へ訪れた男。
 その口からまろび出る言葉に目を丸くして。
 その手に握られた張形に、さっと顔色を無くした。

 もはや抵抗しても無駄だと知った娘は、諦めた顔で、それでも震える指で着物を脱ぎ捨てた。




 下腹部が、痛い。

 娘は暗い色の布を被って、走っていた。
 何もせずとも汗が溢れる熱帯夜、息を荒くして走る娘。

 下半身が軋む様な痛みに涙を溢して走る娘は、追っ手が居ない事を確認しつつ、逃げていた。

 身体が裂ける様な破瓜の痛みに泣き叫んだ娘は、この様な痛みが何度も訪れるなら、と意を決す。
 皆が寝静まった夜中、娘はそろりと部屋を抜け出して、襤褸の布を被って走り出した。

 もう嫌だ
 そう思うのに時間がかかりすぎた。
 幼いと言う事もあり、限界に気付くのが遅かった。

 全身に負った傷は消える事はなく、表へ出て働ける姿ではない。
 けれどもあの店で死ぬまで生きる事など出来はしない。

 助けを求めていた訳ではない、もはや誰も信じられぬ。
 逃げ出したからと言って良い方向に進むとは限らない、それでも逃げ出したかった。


 傷だらけの裸足がもつれ、地面にどさりと倒れ込む幼い身体。

 ざり、とその目の前に
 黒い着物と下駄を履いた素足が現れた。


 娘は虚ろな目で足の主を見上げ、首を傾げる。

 赤い髪の女が娘を見下ろし、そっと手を差し出した事に。



おわり。

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