175 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:55:24 ID:dr8mfbeg0


 その女の子は、いつもお腹が空いていました。


 もともと、何かを食べるのが大好きな子ではありました。
 食べても食べても、身体は細く、いくらでも食べられてしまうような子でした。

 見て綺麗なものも、食べて美味しいものも大好きでした。


 けれどお母さんが作るご飯はとても美味しいのですが、彩りに乏しく量も多くありません。

 そこまで貧しいお家ではありませんが、お母さんは質素で清貧な食事を心がけていたのです。

 いつもお母さんは、質素な食事は舌が肥えない、身体にも心にも良いと言います。
 だから女の子は、一度も嫌だとか、あれが食べたいと言うわがままは言いませんでした。

 お母さんの言う通りに、どこか寂しい食事をゆっくりと味わい、僅かにお腹を満たしていました。


 生きて行く事は出来る量の食事。
 暮らすのに栄養も不足していない。

 けれどお腹はいつでも空いていて、心はいつでも物足りない。

 満腹になった記憶はありません。
 お腹と気持ちが満たされた事はありません。


 大好きなお母さんが、たくさん食べ過ぎる事も、美味しすぎるものを食べる事も、ダメだと言います。

 その言葉の意味を、頭でも、心でも、女の子はちゃんとわかっていました。
 それでも満ちないお腹は、悲しいくらいに切なくて苦しいのです。


176 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:56:08 ID:dr8mfbeg0


 町に出ると、いつもお店に並ぶ食べ物を眺めていました。

 お菓子屋さんに並ぶケーキ。
 美味しそうな匂いのお料理。
 みずみずしい新鮮なお野菜。


 女の子は、何でも美味しそうに見えます。

 道端に咲く花も。
 綺麗な色の木の実も。
 鮮やかな翅の蝶々すらも。

 何でも、口に入れてみたいと言う衝動に駆られます。



 それでも彼女は首を横に振り、そんなのダメだと自分を叱りました。

 あれを食べてみたい、これを食べてみたい。
 そんな食に対する欲求と好奇心を、ひたすら理性で押さえ付けてきたのです。

 お母さんの言いつけを守る良い子でいなきゃ。
 飽食なんてもってのほか、華美なことなんてもったいない。


 それでも、お腹は空いてしまいます。


177 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:56:30 ID:dr8mfbeg0


 お友だちと町へ遊びに出た時の事です。

 街角にお菓子を売る屋台がありました。


 紙を巻いたカップに、ざらざらと流し込まれた砂糖菓子。

 小指の先ほどの大きさで、鮮やかな色で、甘い匂い。

 きらきら綺麗で、美味しそうで、女の子は目を輝かせました。


 お友だちはお小遣いでそのお菓子を買いましたが、女の子は困ったように首を横に振りました。
 勝手に食べたら、きっとお母さんに怒られてしまうから。


 けれど美味しそうにお菓子を頬張るお友だちの姿に、
 その手の中にある、鮮やかな赤にコーティングされたお菓子に、目を奪われました。

 ああ、なんて美味しそうなんだろう、と。


 「良いな、おいしそう」

 『食べないの?』

 「お母さんに怒られちゃうから」


178 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:57:02 ID:dr8mfbeg0


 『ひとっつあげるよ』

 「ううん、悪いよ、それより今日は早いんでしょ? もう帰らなきゃ」

 『そうだった、今日はみんなで外食なの、こんな分厚いお肉を食べるのよ』

 「外食なのに買い食いしたの? 悪いんだから」

 『お土産って事にするもん、それじゃあまたね』

 「うん、またね」


 ぱたぱたと走り去るお友だち。
 その手元からこぼれ落ちたお菓子が一粒、地面に転がりました。

 屈んで手を伸ばそうとしたけれど、耐えるように手を握って、女の子は背中を向けて歩いて行きました。



 家に帰った女の子を待っていたのはお母さんの笑顔と、豆のスープと、固いパン。
 あとは魚が少しと、野菜、肉は本当に少しだけ。


 まぶたの裏側でいまだ弾ける赤い色が、目の前の食卓の物足りなさを際立たせました。


179 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:57:24 ID:dr8mfbeg0


 満たされはしない。
 だからと言って、それが不満だと不貞腐れた事は無いし、口にしたこともありません。

 けれどこの時ばかりは、唇を噛んで不満を耐えました。



 お友だちはあんなに美味しそうに食べていたのに。
 わたしも食べたかったのを我慢したのに。

 それなのにご飯はこんなに質素で。

 お友だちは、今日は家族で外食だって笑ってたのにな。
 指よりも分厚い肉を食べるって言ってたな、どんな味がするんだろうな。


 わたしだって。
 わたしだって食べてみたいよ。

 どんな味なのか知りたいよ。
 食感も歯応えも知りたいよ。


 お腹が空いて、空いて、空いて、こんなに胸が苦しいなんて。


 食べたいのに。
 欲しいのに。
 羨ましいよ。
 食べたいよ。
 悲しいよ。


180 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:57:55 ID:dr8mfbeg0


 食事の後、ベッドで枕のはしを噛みながら空腹に耐えました。
 時間をかけて、よく噛んで食べても、お腹は空くばかりなのです。


 どんどん膨れ上がる食への欲求、渇望、期待、羨望、好奇心。

 溢れだして溢れだして、少しずつ、それは止まらなくなりました。



 そんな少女はある時、一人の男に出会いました。



 空がどんよりと曇った日の事です。
 お家の外で、馬車の音がしました。

 何が来たのだろう、とお留守番をしていた女の子は玄関の扉を開けました。

 するとすぐ目の前のに、大きな男の人が立っていたのです。


 痩せた身体と暗い顔。
 装いは紳士らしく、背の高い帽子と真っ黒な外套。
 襟の隙間から覗く藍色のタイだけが、妙に浮いて見えました。

 無表情に女の子を見下ろしてから、懐から何かを取り出して差し出す。


181 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:58:17 ID:dr8mfbeg0


(´・_ゝ・`)「これを」

ミセ;゚-゚)リ「え? あ、わわ」


 思わず小包を受け取ってしまった女の子。
 手のひらにちょこんと乗るくらいの大きさで、タイと同じ藍色のリボンがかけられています。

 しかし手の中の紙の包みが何なのかわからず、女の子は困った顔。

 それを見た紳士は、紙の包みをそっと開いて見せました。


ミセ;゚-゚)リ「……な、に……? お肉……?」


 包みの中から顔を出したのは、女の子の拳ほどの大きさ。

 つやつやのお肉のかたまりが、赤く輝きながらそこにありました。


(´・_ゝ・`)「…………」

ミセ;゚-゚)リ「あ、あの……お母さん今いなくて……だから」

(´・_ゝ・`)「口を」

ミセ;゚-゚)リ「へ?」

(´・_ゝ・`)「口を、開けて」

ミセ;゚-゚)リ「え、あ」


182 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:58:51 ID:dr8mfbeg0


 戸惑う女の子に対して、紳士は小さな小さな折り畳みのナイフをぱちんと開き、
 ほんの少しだけお肉を削ると、無理矢理女の子の口へと押し込みました。


 女の子は驚いて目を白黒させます。

 急に、生のままのお肉を口に押し込まれたのだから当然でしょう。

 しかし口を押さえられたままのため、吐き出す事も出来ません。、


ミセ;゚ ゚)リ「むぐ、う、」

(´・_ゝ・`)「よく、噛んで」

ミセ;゚ ゚)リ「ぅ、ぐう」


 言われるままに、恐る恐る、口の中のお肉に歯を立てました。

 ぐに、とした生肉特有の柔らかさ。
 口の中の熱に溶けた脂が、じわじわと広がります。

 その脂の甘さ、お肉の食感。
 思っていたよりも歯切れは良く、口いっぱいに満ちるお肉の旨味。

 生臭さも獣臭さも無い、産まれて初めて食べるようなお肉の味。


183 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:59:25 ID:dr8mfbeg0


 ゆっくり、ゆっくり、小さなお肉の欠片を噛み砕いて、飲み込みました。

 その頃には大きな手は女の子の口から離れていて、紳士は興味深そうにお肉を見る女の子を眺めます。


 手元のお肉に落とされた女の子の視線、その目は、らんらんと輝いていました。

 肉の味を知った獣のように。
 ごちそうを前にした獣のように。

 どこか恍惚とした表情で、お肉の塊を見ていました。


 ふ、と女の子の頭上から落ちていた影が消えました。
 視線をあげると、そこには誰もいません。

 停まっていた筈の馬車も無く、何の音も立てずに居なくなってしまいました。



 溶けるように消えた紳士と、残されたお肉の塊。

 戸惑いの感情より、強いもの。
 ごく、と、女の子は口に溜まった唾液を飲み込みました。


184 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 22:59:48 ID:dr8mfbeg0



 今までたまに口にしていた肉はなんだったのだろう。
 あんな味は知らない、あんな美味しさは知らない。

 口の中から頭の中へ、衝撃が駆け抜けるようで。
 赤い赤い艶やかなお肉が、柔らかく口に溶けるようなそれが、たまらなく欲しい。


 良くない事だ。
 怒られてしまう。
 お母さんが怒るよ。
 どんなに叱られるか。
 何のお肉かも解らない。
 お腹も壊すかも知れない。


 そんな理性は、お肉の塊と、あの鮮烈な味の記憶の前には、無力でした。



 少しずつ、少しずつ、小さく削って口に入れました。
 お母さんに見付からないように、こっそりと鞄に隠したまま。

 腐ってしまうかと思いましたが、お肉の温度はまるで変わりません。
 匂いも味も、まるで変化が無いのです。


185 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:00:12 ID:dr8mfbeg0


 女の子は、何日も時間をかけて、不思議なお肉を口にしました。


 ほんの小さな欠片をついばむように食べるだけで、口の中にはじわじわとお肉の甘さが広がります。

 不思議な事に、お肉を少しでも口にすると
  ずっとずっと女の子の苛んでいた空腹感が、ぱたりと止んでしまうのです。

 それは、女の子にとっては素晴らしい事でした。
 あんなに苦しかった空腹感が消える、それはまるで救いのようで。


 この世の物とは思えない程に美味しい。
 その上、一口でしばらくお腹が空かなくなる。



 しかし美味しいものは、少しでは満足できなくなります。

 一口食べれば次が欲しくなり、次の一口はもっと大きくなって行きました。


 もうお肉を食べてはいけないと言う理性は無く、ただどれだけ長持ちさせられるかだけでした。

 少しでも長く楽しみたい。
 少しでも長く味わいたい。


186 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:00:33 ID:dr8mfbeg0


 つまんで、なめて、かじって、くだいて、のみこんで。



 女の子の小さな拳程度の大きさ。

 そんな小さなお肉は、あっと言う間に無くなってしまいました。

 手元に残るのは藍色のリボンと包み紙だけ。


 どんなに大事に大事に食べたとしても、量の少ないそれは長持ちしません。
 不思議なお肉が無くなってしまうと、女の子はひどく落ち込みました。


 それもその筈です。
 お肉が無くなったと言う事は、もう味わえないと言うだけではありません。

 すっかり忘れていた空腹感が、再び女の子を苛むのです。



 今までよりも激しい空腹。
 そしてお肉への渇望は、女の子を苦しめます。


 お腹が空いた、苦しい、つらい、切ない。
 もっと食べたい、もっともっと食べたい。

 何を食べても満たされない。
 どれだけ食べても満たされない。


187 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:01:11 ID:dr8mfbeg0


 前は我慢できたのに。
 苦しくても我慢できたのに。


 もう、いや。



 激しい空腹感は、飢餓は、女の子を苦しめました。
 一度満たされた何かは、その隙間を埋められない事を許してはくれません。

 夜は眠れず、勉強にも集中できず、何も手につきません。

 落ち着かず、そわそわして、イライラして、まるで何かの禁断症状のよう。


 女の子は普段髪を結っていたリボンを外して、藍色のリボンを髪に結わう。

 こんなもの、捨ててしまえば良かったのかもしれません。

 けれどあの味を忘れられなくて、何かにしがみつきたくて
  服に合わない色のリボンを身につけ、あの味に、食感を反芻する。

 そうする事で、少しだけ、ほんのほんの少しだけ、気持ちがごまかせた。
 しかしそんなごまかしは、大して役にはたちません。



 それともうひとつ。

 以前とは、惹かれるものが変わりました。

 ある意味では変わっては居ないのですが、一つのものに集中するようになったのです。


 それは、肉でした。
 肉に対する執着が、以前より激しくなったのです。


 お母さんが買ってきた筋っぽい肉、お店に並ぶ大きな肉、どれもが美味しそう。


188 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:01:38 ID:dr8mfbeg0


 かたまりの肉、生きた肉、色んな肉に目を奪われる。
 犬や猫、友達の腕、お母さんの脚、そんなものにすら手を伸ばしてしまいそうで。

 割いて、ちぎって、歯を立てたい。
 頬張って、飲み込んで、お腹いっぱいに満たされたい。

 そんな事しちゃいけない、絶対にいけない。
 こんな想像にお腹が鳴る、自分が一番だいきらい。


 必死に空腹を、食欲を、衝動を押さえ込みました。

 けれど押さえ付ければ押さえ付けるほどに、それは強くなるばかり。


 脳裏に浮かぶのは真っ赤なお肉の断面、味、食感。
 あまりにも鮮烈で、あまりにも衝撃的で、口に唾液が溢れ出すあの存在。

 でも実際に口に出来るものは、ぱさぱさの固いパンと具の無いスープ。
 まるでお腹を満たしてくれない質素な食事が、今は悲しくて苦しくて。


 髪を結わう藍色のリボンに触れながら、唇を噛みしめる。

 食べ物の事で文句なんか言っちゃダメ。
 お母さんを悲しませる、お母さんに怒られる。

 良い子で居よう、良い子で居なければ、良い子に、良い子に。
 理性と理想がごちゃ混ぜで、食べる事すら出来やしない。


189 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:02:01 ID:dr8mfbeg0


  ああ、またあの人に会いたい。
  お肉をくれたあの人に。

  大きくて痩せていて、感情の無い暗い目。

  あの人は何だったのだろう、いったい誰だったのだろう。

  どうしてわたしにお肉を渡したのだろう、あのお肉は、いったいなあに。


  わからない、あいたい、たべたい。
  おなかがすいた、おにくをたべたい。

  あの人は、どんな味がするのだろう。



 かつかつ。
 こつこつ。

 ごとごと。
 がらがら。


 窓の外から、いつか聞いた音。


190 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:02:25 ID:dr8mfbeg0



 かつかつ、こつこつ。
  馬が石畳を蹴り上げる音。

 ごとごと、がらがら。
  車輪が石畳を踏み越える音。

ミセ*゚-゚)リ「ッ!」


 がたん、と椅子を倒しながら、勢い良く立ち上がった女の子。

 そのままの勢いで、玄関へと駆け抜けます。


 あの音はあの音は。
 間違いない間違いない。

 あの時の音、あの人の音。
 あの人の、馬車の音。


 階段を駆け降りて、ばん! と大きな音をさせがら、玄関のドアを開けました。

 大きく肩で息をして、乱れた呼吸に浮かぶ汗。

 それは急に動いたからだけではなくて、何かを期待して、興奮していたから。


191 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:03:09 ID:dr8mfbeg0


ミセ;*゚-゚)リ「はっ……はっ……」

(´・_ゝ・`)「…………」

ミセ;*゚-゚)リ「っ……はぁっ……」


 痩せた大きな身体、背の高い帽子に、黒の外套。
 髪を飾るリボンと同じ、妙に目立つ藍色のタイ。


 冷たいくらい無表情で、平坦な眼差しが、女の子を真っ直ぐに射抜きます。


 まるで獣を観察する調教師のような眼差しと、何かへの期待にらんらんと輝く餓えた獣の目。

 そんな二つの視線は、ぱちん、とぶつかりました。


ミセ;*゚-゚)リ「っぁ、の……」

(´・_ゝ・`)「…………」

ミセ;*゚-゚)リ「…………あれ、は」

(´・_ゝ・`)「…………」


192 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:03:31 ID:dr8mfbeg0


 渇いて張り付く喉からは、まともに言葉が紡げません。
 それすらも観察するように、紳士は黙って見下ろしていました。

 少しでも潤そうと、なぜか口に溜まる唾液を、ごくりと飲み込みました。
 不思議な事に、目の前の紳士を見ていると、唾液が溢れてくるのです。


 それを見ていた紳士が、右手にはめていた白手袋を外します。

 そしてあらわになった、痩せて筋張った人差し指を、女の子の口許へと差し出しました。


ミセ*゚-゚)リ「…………え?」

(´・_ゝ・`)「…………」


 何も答えない紳士と、口へ突き出された指先を、戸惑いながら交互に見ます。

 唇にわずかに触れる指先の温度が、女の子の胃袋を刺激します。

 自分が何をしたいのか、紳士が何をさせようとしているのか、うっすらと気付いていました。


  そんな事はしちゃいけない。

  でも、これをずっと望んでいたのかも知れない。


 理性は、もう死んだも同然でした。


193 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:04:06 ID:dr8mfbeg0


 女の子は戸惑い、躊躇いながらも、おずおずと口を開きます。
 そして人差し指の一つめの関節までを、ゆっくりと銜え込みました。


 舌先に乗る指の腹はほんのりとだけ温かく、うっすら感じる塩っぽい肉の味。
 怪我をした時などに自分の指を銜えた時と、同じような味でした。


 それなのに、まるで指先がずっと待ち望んでいたご馳走のように、口には期待と歓喜の唾液。
 口から溢れそうになるそれを飲み込もうと、もごもご指先を吸ったりねぶったり。



 舌に乗る指の腹は、柔らかくて弾力がある。

 ゆっくりと歯を立てれば、腹側は固いような柔らかいような、不思議な食感。
 背側は、ごり、と歯がすぐ骨に当たるような、固い食感。


 その食感の差を楽しむように噛み締めていると、ぷつ、と何かの破れた感覚。

 それに少し遅れて口に広がるのは、匂いと味。


 鼻腔に抜ける鉄さびのような匂いと、頭の髄まで響く深く強い甘さ。


194 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:04:35 ID:dr8mfbeg0


 舌先から頭の髄へと突き抜けるような甘さが、味蕾へ染み込み焼き付ける。
 血と混ざりあい、甘さを帯びた唾液を飲み込めば、喉から胃へ、胃から全身へと熱を伴い行き渡る。

 僅かにだけ残っていた理性が崩れ去り、女の子は紳士の右手を両手で掴みました。

 音を立てながら吸い付き、丹念に舌を絡ませる。
 指先の傷に歯を立ててを深く抉り、ぐいぐいと舌を押し込む。

 それはまるで、指先と舌の情事のように熱っぽくて、頭が蕩けるみたいで。

 全身へ巡るその味は、崩れた理性も思考さえも、溶かして混ぜて鍋の中。



 うっとりと細められた目。
 熱く赤く上気した頬。

 いつの間にか背後へ回っていた紳士が、口から溢れる唾液を拭う。
 白手袋が唾液に汚され、暗い染みを作っています。


 幸せそうな、ふやけた顔で人差し指を銜え込む女の子。

 それを観察していた紳士は、ぐん、と背中を曲げて、女の子の顔を覗き込みました。


195 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:05:40 ID:dr8mfbeg0


 黒い外套、藍色のタイ、白いシャツがちらちらと覗き
 血色の良くないごつごつとした喉、痩せた頬、通った鼻筋に光のない目。


 感情の無さそうな目と、理性がどろどろに溶けた目。
 定まりもしないふたつの視線が再びぱちりと合い、紳士は優しく囁きます。



 「たくさん、たくさん、食べたくは、無いか」


 唾液まみれの頬を撫でて、濡れた指先で口の中を撫でて、紳士は言葉を重ねます。



 「私なら、ば、君の求める、食事を、好きなだけ、用意出来る」


 顎を掬い上げるように、女の子の顔を上へ向かせて。
 口の周りを汚す赤混じりの唾液を拭いながら。



 「私の屋敷、へ、来ないか」


 とろとろ、どろどろ。
 理性も思考も何もかも、食欲以外の何もかもは、無いに等しいものでした。



 「は、ぁは、食べ、る、食べる、食べたい、おじさんち、連れてって」



 紳士は、ほんの少しだけ微笑みました。


196 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:06:06 ID:dr8mfbeg0




 かつかつ、こつこつ。
 ごとごと、がらがら。

 女の子は馬車に揺られ、森の中を進みました。
 紳士のお膝で、指をかじりながら目的地へと向かいました。

 馬車から降りると、そこは森の奥の奥。
 豪奢なお屋敷の門をくぐり、真っ暗な空を見上げます。



 ひとりでに開く扉を進み、すべらかな石の床を踏み、絵の飾られた廊下を歩いて。

 女の子が通されたのは、一つのお部屋。


 きれいに飾られたお部屋の半分を区切るように引かれた白いカーテン、一人分の机と椅子。

 女の子は名残惜しそうに指先から口を離すと、ごと、と引かれた椅子に腰掛けました。


 机にはナイフとフォークが置かれていて、少し後ろでは紳士がぱちんと指を鳴らしました。

 すると女の子のつくテーブルに、湯気の上がる料理が運ばれてきました。

 肉も、魚も、野菜も、デザートすらも机にいっぱい並びます。

 女の子が紳士を振り返ると、紳士は食べるようにと手振りで促しました。


197 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:06:40 ID:dr8mfbeg0


 突然与えられた美しく美味しそうな料理の数々。

 どれから手をつけようか悩んでから、分厚い肉料理へと手を伸ばしました。


 フォークで押さえて、ナイフで切って、肉汁滴る赤い断面を、口の中へ。



 ああ、あの味だ。



 うっとりするようなお肉の味。
 待ち焦がれていたあの味。

 お腹が、気持ちが満たされて行く。


 肉も、魚も、野菜も、パンも、スープも果物も何もかも。
 眼前に並ぶ料理は、どれもこれもが目の前を真っ白にするくらいに美味しくて。

 いくら食べても食べても目の前から無くならない。
 次から次へと新しい料理が運ばれて、飽きる事も無く食べ続けられる。


198 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:07:09 ID:dr8mfbeg0



 お腹は空いては居ないけど、満腹でもう食べられないと言う事はありません。

 眠くならないので眠る事もなく、疲れもしないので延々と、延々と食べ続けられるから、延々と食べ続けた。


 細い身体のどこに料理が消えて行くのか、そんな疑問も見当たらない。
 家主である紳士が面白そうに微笑むものだから、女の子はそれに応えるように貪った。


 町で見かけた料理も、あの時食べてみたかったお菓子も、友達から聞いたような分厚いお肉も。

 みんなみんな、食べてしまった。
 いやと言うほど食べているのに、まるで嫌にはならなくて。

 それどころか、もっともっと、まだまだたくさん食べたくて。


 女の子は更に求めた。
 紳士はそれに応えた。

 女の子は嬉しそうに頬張った。


199 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:07:54 ID:dr8mfbeg0


 紳士は食材を見せてくれた。

 それは可愛らしい子犬だった。
 とても美味しかった。


 次の食材を見せてくれた。

 か細い脚の子牛だった。
 とても美味しかった。


 次の食材を見せてくれた。

 人の腕によく似ていた。
 とても美味しかった。


 更に食材を見せてくれた。

 知らない小さな女の子だった。
 とても美味しかった。


 おすすめの食材を見せてくれた。

 一緒に遊んだお友だちだった。

 とてもとても美味しかった。


200 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:08:26 ID:dr8mfbeg0




ミセ*゚ー゚)リ「ねぇ、ねぇ、おじさん」

(´・_ゝ・`)「ああ、何だい」

ミセ*゚ー゚)リ「おじさんも、ご飯は好き?」

(´・_ゝ・`)「好きだとも、もちろん、君のように、食べる事こそが、幸せじゃないか」

ミセ*゚ー゚)リ「うんっ、美味しいもの食べると、すっごく幸せ」

(´・_ゝ・`)「私の目に映る全ては、あまねく全ては、食材でしかない、わかるかい、なあ」

ミセ*゚ー゚)リ「今ならね、わたし分かるよ、みんなみんな美味しそうだもん」

(´・_ゝ・`)「ああ、ああ、良い事だ、良く育った、良い子じゃないか」

ミセ*゚ー゚)リ「良い子? わたし良い子かなぁ、おじさんが言うなら良い子なのかも?」

(´・_ゝ・`)「私も、君も、いずれはね、誰かに貪られる食材なんだ、なあ」

ミセ*゚ー゚)リ「わたしも、おじさんも?」

(´・_ゝ・`)「ああ、そうさ、ああ、いずれは喰われ、貪られ、血肉となる、全ては食材だ」

ミセ*゚ー゚)リ「わたしも、こんなに美味しいものになるんだね」


201 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:09:02 ID:dr8mfbeg0


(´・_ゝ・`)「君は、恐ろしくならないのか、君の食う肉が、何の肉か、解っているだろう、なあ」

ミセ*゚ー゚)リ「? わたしもいつかは料理になるんでしょ? 何がこわいの?」

(´・_ゝ・`)「はは、ははは、良い、良いじゃないか、君は、なあ、実に良く、実に良く育った」

ミセ*゚ー゚)リ「よくわかんないけど、わたしはもっともっと食べたいよ、もっともっと美味しいものが欲しい」

(´・_ゝ・`)「ああ、良いだろう、良いだろう、もっとお食べ、君の望むまま、食べると良い」

ミセ*^ー^)リ「うんっ!」

(´・_ゝ・`)「さあ、さあ、次の食材だ、ご覧」

ミセ*゚ー゚)リ「わぁっ、何だろう!」



 ぱっと開かれたカーテン。

 そこには鉄の格子に閉じ込められた女の姿。


 綺麗な髪は振り乱され。
 優しい笑顔は面影もなく。
 血走った目でこちらを見る。


 女の子を見た『食材』は、目を見開いて大きな声で叫びます。

 血を吐くように名前を呼んで、その子から離れて、早く逃げてと格子をがたがた揺らす。


202 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:09:23 ID:dr8mfbeg0


(´・_ゝ・`)「元気だろう、なあ、どう思う、君は」

ミセ*゚ー゚)リ「んっとね、んっとね」

(´・_ゝ・`)「うん、うん」

ミセ*^ヮ^)リ「美味しそぉ!!」



 それを聞いた『食材』は、さっと顔色を無くしました。

 泣き叫びながら命乞いをして、愛しい娘の名を呼びます。

 けれど呼ばれた当人は、にこにこしながら料理を待つだけ。


 何度も何度も名前を呼ばれるが、それには一切応えない。

 それどころか。


ミセ*^ー^)リ「美味しそうだね、早く食べたいなぁ」


 紳士に向かって笑いかける女の子と、絶望した顔で泣き叫ぶ『食材』。

 そんな光景を眺めながら、紳士は初めて見るような、いびつな笑顔で、指をぱちんと鳴らしました。


203 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:09:47 ID:dr8mfbeg0


 カーテンがさっと閉じて、その向こうから一際大きくなった悲鳴。

 肉を切る機械の音がぎゅるぎゅると、食材の悲鳴をかき消します。

 飛び散った血肉が白いカーテンに染みを作り、床を汚して行く。


 わくわくと料理を待つ女の子の顔を、ぐん、と背中を曲げて覗き込む紳士。

 いびつに歪んだ笑顔のまま、優しく優しく囁きます。



(´・_ゝ・`)「君は、たくさん、たくさん、食べてきた
        そんな君から、どんな味がするのか、気にならない、か」


 女の子は目を真ん丸にして、至近距離にある男の顔を見上げました。

 そしてすぐに、目をらんらんと輝かせるのです。


ミセ*゚ヮ゚)リ「今度、一緒に食べてみようよ、おじさん!」


 口に溢れる唾液を飲み込んで、期待に胸を膨らませて、女の子は笑います。


204 名無しさん[sage] 2018/03/25(日) 23:10:42 ID:dr8mfbeg0


ミセ*゚ー゚)リ「でもね、一つ気になる事もあるの」

(´・_ゝ・`)「ほう、何だい、何の味だい」

ミセ*゚ー゚)リ「んふふ、おじさん、口あけて」


 藍色のタイを引っ張って、紳士の頬を撫でた。

 顔を覗き込んだまま、かぱ、と開いた紳士の口に、小さな口が重なる。


 味わうように舌を嘗めあげてから、小さな歯牙は赤い舌を引きずり出した。

 舌の先を、がり、と噛んでから口を離すと、女の子はにっこり微笑む。


ミセ*゚ー゚)リ「喋る時に、気になってたの、赤い舌」

(´・_ゝ・`)「…………」

ミセ*゚ー゚)リ「思ったとおり、指以外も美味しいんだね」

(´・_ゝ・`)「は、」

ミセ*^ー^)リ「おじさんは、わたしよりいっぱいいっぱい食べてきたんでしょ?」

(´・_ゝ・`)「ああ、ああ、そうだとも、そうだともさ」

ミセ*^ー^)リ「ならきっと、わたしよりおじさんのが美味しいよね!」

(´・_ゝ・`)「はは、ははは、そうかも、なあ、はははは」

ミセ*^ー^)リ「んふふふ」



 紳士は女の子の髪を飾るリボンを解き、代わりに自分のタイを結びつける。

  まるで主の証を譲渡するように、いびつなリボンが女の子の頭に飾られた。



 そして笑い合う二人の間には、静かになった肉の、焼ける匂いが漂っていました。



 おわり。






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